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織田信長



織田信長
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2014年11月。ポリ連のお題「和」に投稿したお侍のモデルを、アングル・背景等変えて作品にしました。


もとのモデルはデ三郎ですが、顔とか少しいじってます。・・・・とりあえずこれで信長様、ってことにしといてください(汗)




あと、下手で申し訳ないんですけども・・・「本能寺の変」のシーンじゃないですから!!!(滝汗)


伝記とか読んだ方は知ってるでしょうが、若き信長が父親の葬式に平服でずかずかと現れ、位牌に向かって


線香の灰を投げつけた、っていうあのシーンのつもりです。・・・ほ、ほら、顔が若いでしょ?(^▽^;)


背景はあれですよ、心象風景ってことでひとつお願いいたします(^▽^;)




織田信長って、日本人で知らない人はいないぐらいなんでしょうけど、ずいぶん誤解されてる人物でもあると思うんですよね。


そのへんを踏まえて、以下いつもどおり興味のある方だけお読みくださいませ。m(._.)m






「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」なんてのは、世間一般の信長のイメージとして、昔はよく言われたもんです。


「天才とキチ○○は紙一重」みたいなイメージを持ってる人も多いんじゃないでしょうか。以前の私もそうでしたけども。


これには、浅井長政父子の頭蓋骨で酒を回し飲みさせた話(実はこの話には誤解が入ってるらしいです)のほかに、


前述の 父の葬儀で位牌に灰を投げつけたエピソードが、大きく影響してるんじゃないかと思います。




通常、「父を失った悲しみのあまり、奇矯な行動をとった」と解釈されてるみたいですけども、


悲しみの表現としてはちょっと異常ですよね??


「だから信長は異常な人だったんだよ」という人もいるんでしょうが、それは循環論法というもので、合理的ではないと思います。




私の知る限り一番合理的な仮説は、「信長はもともと織田家の跡取りではなかった」というものです。




要するにこの葬式は、信長の弟・信行が喪主として開いたもので、おそらく信長は「家来として」招かれていたんじゃないか、と。




それに対して「信行が喪主だと?跡取りだと??ふざけるな!!!織田家の跡取りにふさわしいのは、この俺だっ!!!


こんな葬式、認められるかっっっ!!!」


・・・となった信長が、平服で葬式に乗り込んで、あとは・・・といった感じですかね。




つまり、柴田勝家も林秀貞も、別に信長を見放して信行に味方したわけではなく、正当な跡継ぎにそのまま従っていたに過ぎない。


「信長が人望を失った為に跡継ぎ争いが起こった」わけではなく、


むしろ「信長様のほうが跡取りにふさわしい」と思っていた家来が多かったために後継者争いになったのでは、と考えられます。




平手政秀も、「信長の奇行を諫めるために」切腹したわけではなく、「後継者争いを止められなかった」責任を負って自害したんじゃないか、


と思います。先代・織田信秀は、信長が怒って内乱を起こすのを心配して、そうさせないように家来たちに遺言してたんじゃないかと。


「これでは先代様に死んでお詫びするしかない!」となったんじゃないかな〜。




実は、この説にも欠点はあって、「なぜ信長は跡取りになれなかったのか」、「斉藤道三ほどの人物が、自分の娘を、跡取りでもない


織田家の次男(三男説あり)となぜ婚約させたのか」を説明する必要があるんです。


どちらも状況証拠にすぎないんですが、どうも信長の母は、信行の母(土田御前)とは別人ではないか、と思われます。


ごく身分の低い人だったか、信長が幼いころに死んだために、名義上 土田御前が継母になっていたんじゃないか、と。




この当時は長男が跡継ぎになる、と決まっていたわけではなく、母親の実家の勢力とかのパワーバランスとかが


跡継ぎ争いに大きく影響していたわけで。


信行の母親の実家というのは、当時の織田家の中では影響力が大きかったんじゃないかと。(このへん推測です)




事実、信長・信行兄弟には信広という兄がいますが、後継者としては全く名前が挙がっていない。


伝記とかだと「病弱で気が弱く、跡継ぎにふさわしくない」と書かれていますが、実際には何回も軍勢を率いて合戦に出ていて、


それなりの人物だったのに、全く無視されていたのはやっぱり母親の立場とか実家の権勢の弱さのせいだったんじゃないかなと思います。




斉藤道三については 婚姻同盟のための婚約というより、当初は「人質として娘を贈る」という話だったんだろうと思います。


同盟するならさっさと結婚させて、織田家と協力して国内の反対派を打倒できたはずなのに、それをやっていない。


とりあえず「人質出すから」と言って織田家の攻撃をそらしておいて、その隙に国内を纏め上げる考えだったんじゃないかと。






まあ、ぐだぐだと書いてきましたけど、私は理屈抜きに「信長は跡取りではなかった」説が正しいと思っています。


16、7歳の気性が激しく、自負心の強い若殿様の心のありようとして、すごく共感するというか、理解できるから。


まあ、だからって日本史の解釈が全く変わるってわけじゃないんですけれども、


織田信長という人に対する考え方として こういう見方もありますよ、ということをお伝えしたいと思っています。